「かごめかごめ」の真相にせまる Part II 四国の剣山が歌の舞台である理由

P1040800_01

「カゴメの歌」の舞台となる四国の剣山 

「かごめかごめ」の歌詞をヘブライ語で読むと、そこには神宝が取り出された後、地域一帯が焼かれたことが記されていました。その歌詞から伝わる恐ろしいほどリアルなメッセージは、フィクションのようなおとぎ話ではなく、実際に起こった出来事を、後世に伝承するために書かれているようなニュアンスが込められています。もし、「かごめかごめ」が過去の史実を証していたとするならば、その場所が日本のどこかに存在したはずです。

神宝を証する「かごめの歌」

神宝の行く末に絡む話が、「かごめかごめ」の歌詞の中に潜んでいたのです。「かごめかごめ」をヘブライ語で読むと、以下の意味になります。

何が守られているのか? 誰が守られているのか?
守護されて封印し、安置して 閉ざされた神宝を取り出せ!
そして火を付けろ!燃やせ! 神の社を根絶せよ!
水が湧く岩のお守りを造り、 荒れ地に水を引いて支配せよ

ここで守護されている神宝とは、元伊勢の御巡幸後、密かに邪馬台国の舞台となる聖地にて安置されたものであるという前提で読み直すと、わかりやすく解釈できます。ある時、神宝を収蔵されていた場所から「取り出せ」、という命令が突如として下りました。神宝の収蔵場所には火が付けられ、あたり一帯は火の海と化してしまうのです。同時にその神宝を祀っていた神社も炎上したのです。そして直前に取り出された神宝は、水が湧き出でる磐座に囲まれた新たな遷座地へと遷されたことを、ヘブライ語で読む「かごめかごめ」は証していたのです。

では、焼かれた神宝の収蔵場所は、どこにあったのでしょうか?その神宝を祀る社はどこに存在したのでしょうか。元伊勢御巡幸が終結した直後の時代でもあり、その後に台頭する邪馬台国の存在を振り返るならば、神宝は邪馬台国にまで持ち運ばれたと考えるのが自然です。魏志倭人伝などの中国の史書に記載されている数々の証言や、それに伴う地勢や文化に関わる数々の状況証拠から察するに、「かごめかごめ」の歌詞の内容に適うだけでなく、元伊勢御巡幸の歴史の流れにも合致する要素を兼ね備えている場所が、国内でただひとつ存在します。それが四国の剣山です。「かごめかごめ」の舞台を剣山と想定することにより、元伊勢御巡幸の終結から神宝の秘蔵とその後の行く末まで、古代史の流れを一貫して見据えることができるようになります。「かごめかごめ」の歌により、その歴史の謎が紐解かれるのです。

四国の剣山が歌の舞台である理由

1.神宝の秘蔵が伝承される剣山

西日本で2番目に高い剣山の周辺地域では、ユダヤの秘宝が隠されているという噂が遠い昔から村々で語り継がれています。剣山の麓は「日本のチベット」と呼ばれるほどの交通の難所であり、そこには今もってなかなか開発が進まない東祖谷山村(ひがしいややまそん/現・三好市)が存在します。四国の真ん中に位置する人口2,600人余りの小さい村で、その地域は高山に道を阻まれており、まさに秘境。その東祖谷村でも、ソロモンの秘宝と言われる契約の箱が、この剣山下に隠されていると言い伝えられてきました。村の観光案内でも公式に認知されていることもあり、単なる伝説ではすまされないようです。剣山の麓にある祖谷地方には、古代から伝承されている民謡があり、その歌詞は、神宝や、イスラエルの契約の箱に関して歌っているという説もあります。

祖谷の谷から何がきた。 恵比寿大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。 三つの宝は、庭にある。
祖谷の空から、御龍車が 三つ降る。(中略)
伊勢の宝も、積みや降ろした、 積みや降ろした。(中略)
三つの御龍車が降った祖谷。 伊勢の宝が積みおろされた祖谷。

この歌の背景について詳細は不透明なものの、剣山に向けて、伊勢から神宝が運ばれてきたことが語られているように読み取れます。祖谷地方の民謡に、神宝の移動を証する歌が残されていることは極めて重要であり、その背景は「かごめかごめ」のものと同じであったと考えられるのです。

剣山に神宝が秘蔵されている、ということを最初に公言したのは、神奈川県出身の元小学校校長である高根正教氏です。高根氏は昭和11年から3年にわたり、剣山の頂上周辺にて発掘調査を行いました。発掘した全長は485尺、すなわち150~160mにも及び、その結果、多くの玉石や鏡石などの遺物が見出され、同氏は剣山を「人工の山」と称したほどでした。そして高根氏は聖書や古事記を比較研究した結果、剣山にはイスラエルの契約の箱が隠されているのでないか、という結論に達したのです。

その真相は定かではないものの、高根氏の働きは、剣山の存在を世間に知らしめることになります。その後、同氏の剣山に纏わる働きは、御子息である高根三教氏に引き継がれ、筆者も生前、色々な話を高根氏の自宅にて伺うことができました。高根氏の見解には極論が多く見られたものの、剣山に関する洞察力は抜きんでており、周辺の遺跡に纏わる貴重な話を聞くことができたことは収穫でした。

2.金の鶏が秘蔵されたと語り継がれる石尾神社

高根氏から教わったことで、最も感銘を受けたのが、徳島県穴吹にある石尾神社の存在です。今となっては、荒廃した岩場のようにしか見えませんが、そこには剣山の謎を解く多くの鍵が残されています。最も大切なことは、古代、人々が剣山を参拝する際にはこの石尾神社にて、まず祈りを捧げ、それから杖立峠という難所を通り抜けて、剣山の山頂へと向かったのです。

よって、石尾神社は何故かしら重要な位置づけにあり、剣山と深い絆で結ばれていたことがわかります。その石尾神社は、空海こと弘法大師も愛してやまない聖地でした。それ故、空海が高野山に拠点を設け、紀伊の吉野川上流にて人生の最後の日々を過ごした際も、高野山周辺にしか見られない「こうやまき」という木を、わざわざ石尾神社まで持ち運び、御神体として佇む巨大な磐座の頂上に植えたのです。それほどまでに何故、空海は石尾神社を大切に取り扱ったのでしょうか。

その理由を解明することが、「かごめかごめ」の謎を紐解くことになります。石尾神社の御神体となる巨石石尾神社の御神体である巨大な磐座には、古代より、金の鶏が埋蔵されていると伝えられています。それ故、今日では巨石の真横に、「金鶏の風穴」と大きく記された標識が立てられ、その下には小さく、「この穴は清水があり、さらに進むと金鶏の像があると伝えられる」と書かれています。火のない所には煙は立たぬ。何かしらの理由があり、金の鶏に見えるような物体が古代、石尾神社に持ち運ばれ、巨石の下に埋められたのではないでしょうか。このような伝承が2千年以上の時を経てまで語り継がれていることに驚きを隠せません。もしかして金の鶏とは、イスラエルから運ばれてきた契約の箱の上に取り付けられていた、ケルビムと呼ばれる1対の鶏のことかもしれません。それ故、剣山界隈、祖谷の地域では、古くからイスラエルの契約の箱に纏わる伝承が残されてきたのではないでしょうか。

石尾神社の磐座は特筆すべき価値のある、見事なものです。その御神体である結晶片岩の路頭は、100mx50mというとてつもない大きさを誇示しています。その磐座を空海も大切にしていた形跡が残されていることからしても、石尾神社が神宝と絡んでいた可能性は高いと考えられます。

3.鶴石と亀石を崇める剣山

剣山の頂上近くには宝蔵石と呼ばれる巨石があり、そこから200mほど離れた所には、鶴石、亀石と呼ばれてきた大きな岩石が存在します。これらの巨石は古くから、剣山を登頂する多くの人から崇められてきました。鶴と亀、と言えば、「かごめかごめ」の歌詞に登場する2匹の「すべった」動物が、思い起こされます。剣山は山自体が「鶴亀山(つるきさん)」とも呼ばれることもあり、「かごめかごめ」のテーマと一致します。これはもはや単なる偶然とは言えないでしょう。剣山の鶴石と亀石の存在は、剣山に纏わる数多くの伝承の中に「かごめかごめ」の歌も含まれていたことに起因しているのではないでしょうか。

4.剣山周辺が焼かれた痕跡とは

四国では瀬戸内側に高地性集落の遺跡が多数見つかっています。古代社会の不思議とも言われる謎めいた高地性集落は、剣山を中心とする周辺の山々でも存在しました。実際、祖谷地区の周辺には近年までは大きな牧場が存在したほど、剣山周辺でも、人々が居住することができる程度のなだらかな斜面と地勢を有する山麓が少なくありません。四国の山上に高地性集落を造営することは決して難しいことではなく、邪馬台国が存在していた可能性も見えてきます。

標高1,955mを誇る剣山の頂上周辺は、ササ原やコメツツジの野原が広がっています。樹木が全くなく、野原が尾根に沿って広がっていることから、その景観は「馬の背」、とも呼ばれています。このように、ササ原に囲まれたおよそ平坦な高地を有する山々は、剣山の周辺に広がっています。矢筈山、石立山、赤帽子山、天狗塚などがその一例です。

ササ原とコメツツジの野原が剣山周辺の山々に見られる理由は、古代、これらの山々の頂上周辺にて樹木が切り倒され、集落が造られた形跡の名残ではないでしょうか。そして、「かごめかごめ」の歌詞が証するように、ある時、これらの高地性集落の中で、神宝が秘蔵されていた場所や、神社を有する地域が、ことごとく焼かれてしまったと考えられるのです。その結果、今日見られる「馬の背」のように、山麓の途中から樹木が消え去り、頂上近くになるに従って、野原が広がっているという景色を目の当たりにするのです。これは、山々が古代、山焼きの被害に遭遇し、樹木が一掃された痕跡と考えられ、「かごめかごめ」が証する結末と一致します。

その証として、剣山から24kmしか離れていない神山町には焼山寺が建立されています。第12番札所としても名が知られている焼山寺の創始は、遅くとも飛鳥時代にまで遡り、その名称のとおり、焼き山についての由緒が複数残されています。中には空海が、火を吹いて人々を襲う大蛇と対決した言い伝えもあります。そして山を火の海にする大蛇と、真言を唱えながら戦う空海との一騎打ちとなり、最終的に大蛇は岩窟の中に封じ込められます。しかしながら、丸焼きの被害をまぬがれるこができずに焼山となってしまったことから、焼山寺が建立されたのです。焼山寺周辺の見晴らしの良い場所からは、剣山周辺の山上にて燃え上がる火の手を見ることができたでしょう。それ故、この焼き打ちを目撃した証として焼山寺が建立されたとも考えられます。

「火を付けろ」、「燃やせ」という「かごめかごめ」に含まれる命令を裏付ける環境が、古代の剣山周辺には整っていたのです。

5.剣山に精通した空海が「かごめかごめ」の作者か?

ヘブライ語と日本語を巧みにブレンドした「かごめかごめ」の作者は、語学の達人、弘法大師空海である可能性が極めて高いと言えます。空海は四国に生まれ育ち、遣唐使として中国へ渡った際、ネストリウス派のキリスト教(景教)を学び、ヘブライ語を習得しました。聖書の教えに触れた空海は、帰国して15年後の821年、今日の香川県にある日本最大の灌漑用溜池として知られる満濃池の改修を3か月で完了させ、多くの農民を救済したのです。空海は海外の文化人らも驚嘆させたほどの偉大なる宗教家、詩文家、書道家でありながら、その天分のみならず、土木灌漑建築というまったく異なる分野においても、当時の最先端技術と情報を唐より持ち帰り、即座に活用して多くの結果を残しました。

空海が灌漑治水を学んだ理由は、単に庶民の救済だけでなく、神宝を見出して、新たなる聖地へと遷さなければならないという天命を悟ったからに他なりません。旧約聖書のイザヤ書に繰り返し綴られている重要なテーマは、山と水、そして水路の存在です。空海は神宝が秘蔵されるべき場所は安全であるだけでなく、水源が豊かな場所であることに気づいていました。それ故、全国をくまなく行脚して水路を造り、神宝を収蔵できる環境に恵まれた場所を探し続けたのです。「かごめかごめ」の歌は、収蔵場所が焼かれてしまうことを語り告げています。

空海が行脚した四国の巡礼場所は、後に四国をほぼ一周する「四国八十八箇所」となりました。これら空海ゆかりの聖地も、イスラエルルーツの神宝、及び「かごめかごめ」の歌と不思議な繋がりがあるようです。まず注目すべきは88という数字です。

一般的に「八十八箇所」は、88の煩悩を消し去り、88の徳を成就するという意味に捉えられているようです。しかし「8」の音読みである「ヤ」はヘブライ語で神を意味し、その8を重ねることにより、八重(ヤエ)、つまりヘブライ語での「神」となります。しかも日本語では幾重にも覆われて隠れてしまう、というニュアンスが含まれているため、「八十八」は「神を隠す」と解釈できます。それを更に明確に表現した言葉が「八重桜」であり、この言葉の読みはヘブライ語で「神隠し」を意味します。

おそらく空海は、長年に渡り神宝が秘蔵された剣山を基点にして、その周囲を八十八箇所の霊場で結びながら遍路と定めることにより、多くの信望者が剣山という霊峰の存在を知り、その恩恵を受けることを願っていたのでしょう。

四国の剣山は、空海が生まれ育った東香川の地から近い場所に位置しています。そして古代よりイスラエルの神宝が埋蔵されているという言い伝えが残されていたが故に、剣山を徹底して調査したのではないでしょうか。

そして四国の剣山には、確かに元伊勢の御巡幸に結び付く大切な神宝が秘蔵されていたことを知り、それらの神宝の中には、預言者イザヤに導かれて渡来したイスラエルの民が祖国から持ち込んだ、聖櫃に纏わる貴重な神宝が含まれていたと考えられるのです。

それ故、イスラエルの神器が日本に運ばれて秘蔵されているという風説は、あながち作り話ではないようです。偶像が多々残されていた剣山周辺は焼かれて清められることが定められますが、その焼き打ちが実行される直前、それらの神宝が持ち出されて違う場所に移設されたと考えると、「かごめかごめ」の歌の主旨とぴったり合います。そして「かごめかごめ」の作者だけに留まらず、それを実行したのも空海であると想定すると、全体の流れがよりわかりやすくなります。

「かごめかごめ」の歌は、剣山に秘蔵されていた神宝が、新天地に遷されたことを語り告げていたのです。空海の故郷に聳え立つ剣山は、神隠しの象徴であり、鶴と亀という「お守り」の岩によって、今でも霊峰剣山を守護しています。そして神宝は歴史の中に隠され、新天地にて秘蔵されることになりました。これら一連の働きの背後に存在したのが空海ではないでしょうか。

引用 日本とユダヤのハーモニー
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=249

P1040800_01