阿波は「日本の始まりの地」と考えらえる歴史がある

15068424_1198495126903044_7230390554675272053_o

古代の徳島は阿波と呼ばれていた。「あ」とは始まり「わ」終わりの意味とも言われる。

その阿波から日本は始まりの地と考えられる。

その根拠として…

その1 縄文時代からの西日本最大級の集落後がある。

徳島の国府の矢野には縄文後期初頭、西日本最大級の集落があり、ベンガラに塗られた縄文時代の仮面も出土される。
弥生時代初頭には銅鐸の出土数は全国で最も多く、最大級の矢野銅鐸も出土されている。
(徳島県のホームページ レキシルとくしま より

その2 縄文時代の徳島の青石の石棒が山陰・関西にも出土している。

徳島の青石( 結晶片岩製 )を研究されている中村豊徳島大学教授によると、青石の石棒は古代の祭事に使われていた。
その石棒は徳島の青石で、縄文時代後期の中頃より作られ、四国島外へ持ち出されなかったが、
縄文時代の晩期末には山陰地方や関西地域からもこの石棒が出土している。

その3 弥生時代後期の国内最古の辰砂鉱山遺跡がある

徳島県阿南市の若杉山遺跡は朱色の辰砂採掘跡で、弥生時代後期(1~3世紀)とみられる土器片がみつかり、国内最古の鉱山遺跡となった。(レキシルとくしま より)

辰砂とは古墳の石室など、権力の象徴の朱として使われた。3世紀の中国の歴史書「魏志倭人伝」に、「倭(日本列島)の山では丹(辰砂)が採れ、
女王卑弥呼が中国王朝に丹を献上していた。」記載がある。

その4 日本最古ホケノ山古墳以前の古墳がある

古墳時代以前の弥生時代終末期の2世紀末~3世紀初頭には鳴門市大麻町の萩原1号墓と2号墓が築造され、日本最古と言われるホケノ山古墳に影響を与えた。

その5 「古事記」に登場する神の神社が「式内社」で多く残る。

712年の日本最古の歴史書「古事記」では、阿波国の別名としてオオゲツヒメである。オオゲツヒメは農作物を産んだ女神の名である。
穀霊の国の阿波国は神話の高天原であるといえる。

 927年の平安時代に編纂された延喜式神名帳がある。これは朝廷から官社として認識されていた由緒ある神社が記載されている。この延喜式を「式内社」といい徳島の神社には50社ある。その特徴は「古事記」に登場する神様の名前の付いた神社が、関係のある地名に鎮座している。
しかも、伊邪那美神社のように重要な神様が阿波の徳島だけに、日本で
1社だけ祀られている。これが、日本の始まりの地と言われる根拠としている。

その6 天皇の儀式「大嘗祭」で「麁服」を調進する。

木屋平の三木家には、天皇の代替わりに伴う儀式「大嘗祭」で麻織物「麁服」を調進した古文書が伝わる。麁服の調進は南北朝時代にいったん途絶えたとされるが、大正天皇の即位時に復活し、その後昭和・平成・令和の新天皇の即位にも調進され、阿波忌部と天皇との関わりを深く印象づけた。阿波忌部とは神話の時代は、天太玉命と名乗り、天児屋命と共に古事記の「天岩戸開き」などで活躍した祭祀をする部族。その後、天児屋命の中臣氏は政治に、阿波忌部は各地に散らばり、麻や米栽培を広めた。

阿波忌部の口伝には、「民族、宗教を超えて共生する」「万物があるから自分がある」「慈愛利他の精神」と共存を大切する日本人の精神的ルーツを伝える。
(つるぎやまの三賢者:著者 香川宜子)

15068424_1198495126903044_7230390554675272053_o